中国 福民病院 上海市第一人民医院

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戦前の日本はグローバル化していた。
1人の日本人の医師が裸一貫、海外でリスクを顧みずチャレンジした。
上海で中国人に信頼され、最先端の医療活動を行った。
福民病院は、現在は「上海市第一人民医院」となっている。

福民病院
福民病院戦前の1924年に日本人医師・頓宮寛が上海四川北路に開いた日本人租界にある病院。現在は上海市第一人民医院となっている。小説家魯迅の妻許広平も1929年にここで出産している。

海外で生活する日本人がおちいりやすい、自分達だけの村社会(コミュニティ)を形成し、現地の人々の生活にとけ込まないという閉鎖性を嫌い、福民病院の業務の主力は中国人、その次が欧米人と日本人という経営方針であった。また、患者によって中国語、英語、ドイツ語、ロシア語、日本語の五カ国語を使い分けて診察する頓宮のコスモポリタンな姿勢は、中国人のみならず欧米人からも深い信頼を得たのであった。
 七十年たった今日、政治、経済、教育などあらゆる分野において「国際化」が声高に叫ばれているが、相手の国の言葉(最低限英語)とロジックを駆使してディベイト出来る政治家、官僚、企業人、そして頓宮と同じ医者が、はたして何人いることであろうか・・・

頓宮の経営する上海北四川路一四三号の福民病院は、診察を受けようとする中国人や欧米各国の患者で門前市をなす活況を呈し、これまでの建物では手狭になったため、頓宮は昭和九年十二月十六日、エレベーターを有する鉄筋コンクリート造り七階建ての本院を建設、これまでの病棟を別院とした。本院の総工費四十万元の大半を無利子、無担保で頓宮に供したのは日本人ではなく、某中国人であった。

頓宮の、中国人に対しては、金がなくとも門前払いはしない、ある時払いでいい。お金を持っている人からはもらうという、信を相手の腹中に置いていささかも疑わない、「寛」という名前の通り寛厚な頓宮の人柄だからこその、国を、民族を超えての破格の融資であった。
 新装なった福民病院本院は、近代建築学の粋を尽くし、通風、採光、防音などに配慮したもので、頓宮の専門である外科を初めとして、内科、泌尿科、小児科、婦人科、歯科、眼科、耳鼻咽喉科、レントゲン科に練達の専門医師が配され、看護婦のほとんどが中国人、守衛や雑役などはインド人という具合に、最盛期にはイギリス、ドイツ、ロシアなどの医師を含め職員総数二百余名という東洋一の個人総合病院であった。
(以上は「魯迅が信頼した東洋一の上海福民病院」より抜粋)

現在でも上海はユダヤと関係がある建物がたくさん残っている。「日本のシンドラー」杉原 千畝からリトワニアでビザをもらったユダヤ人避難民も大勢上海に来たはずである。
当時の上海はパスポートさえあればVISA無しでも入国出来た複雑で特殊な地域。ナチスに追われたたくさんのユダヤ人も住んでいた。第2次世界大戦後ユダヤ人はイスラエルやニューヨークに移り住んだ。

福民病院と関係のある書籍 

奇跡の医師
奇跡の医師

①奇跡の医師―東洋一の個人総合病院 上海     福民病院を造った慈愛の医業
 著者 南堀/英二

主人公の頓宮寛氏は、上海で「福民医院」の院長だった。この病院で、魯迅の息子、海嬰が生まれたそうだ。敗戦後中華民国政府に接収されて、氏は裸一貫で帰国し、小豆島で亡くなる。

 

 

マリコ
マリコ

②マリコ
 著者 柳田 邦男この本は、外交官である寺崎英成を主人公に太平洋戦争前後の昭和史について書いてある。寺崎英成と米国人妻グレンの間に生まれる女の子マリコは福民病院で生まれる。
日本の陸軍や外務省の裏話にも触れているが、当時の歴史は複雑すぎて何が本当か良く分からない。

 

 

 

(「上海ガイド」の租界時代地図を加工)
(「上海ガイド」の租界時代地図を加工)

2 Replies to “中国 福民病院 上海市第一人民医院”

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