博多 高校時代 ヨット部 名島の海岸

 

高校時代はヨット部に入っていた 名島において
高校時代はヨット部に入っていた 名島において
ヨットの舵(ラダー)を持ってのんびりしている 朝海に出ると夕方まで陸に戻らない 一日中海の上にいた 弁当は海の上で食べる
ヨットの舵(ラダー)を持ってのんびりしている 朝海に出ると夕方まで陸に戻らない 一日中海の上にいた 弁当は海の上で食べる
高校時代はヨット部で土曜と日曜日は朝から夕方まで海の上で過ごした
高校時代はヨット部で土曜と日曜日は朝から夕方まで海の上で過ごした

 

博多 甦れ 俺達の西鉄ライオンズ!

我が往年の西鉄ライオンズの英雄たち
我が往年の西鉄ライオンズの英雄たち

私の応援する球団は 巨人や阪神や
西武ライオンズやソフトバンクホークスではない。
それは平和台を本拠地にする
西鉄ライオンズである。
しかしその西鉄ライオンズは今はもうない。

私は子供のころ、黄金時代の 西鉄ライオンズの試合を見てきた。
豊田、中西、大下・・・稲尾・・・、大下選手は赤ら顔でカッコよかった。

幼稚園の時は毎日のように平和台まで大人に連れて行ってもらった。
(入場料が只だった)。小学生になると連れて行ってもらえなくなった。
当時は球場の周りの木に登ってみる人も多かった。

南海ホークスが強かった。
選手個人個人が野武士のような感じで生き生きしていた。
今の野球は管理野球である。管理野球は面白くない!
選手一人ひとりの個性が前に出てこない。

1978年シーズン終了後,クラウンがライオンズ球団を売却、
福岡から埼玉県所沢市への移転した。
そして、若い人は「西鉄ライオンズ」を知らない人が増えてきた。

甦れ! 俺の西鉄ライオンズ
https://www.youtube.com/watch?v=FoBjRP-Qmlw
西鉄ライオンズの歌
https://www.youtube.com/watch?v=9zk3ksRytBU

博多 櫛田神社 祇園祭  博多山笠

子供の時は大黒流で、締め込み姿(ハッピとヘコ)で出ていた。
若干恥ずかしいが、尻が丸出しなのがよい。

 

毎年博多で7月に開催される
櫛田神社に奉納される祇園祭。
http://www.hakatayamakasa.com/kushida.php


祇園祭といっても、京都の祇園祭と異なり、素朴で勇ましい、荒荒らしい。
私は京都の祇園祭は、洗練されすぎており田舎者には
分かりにくい、
単純で荒々しい博多の山笠の方が、単純で好きである。


長谷川 法世が有名。
代表作に『博多っ子純情』がある。福岡・博多に住む思春期の男女の青春を
描いた作品として人気を集めた。

「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。
奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。
櫛田神社には「博多へい」がある。
http://www.geocities.jp/joysunny/fukuoka/fukuoka172.htm

櫛田神社の博多へいの前で
櫛田神社の博多へいの前で

 

 

 

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京都の祇園祭は優雅で博多の荒々しい山笠とは雰囲気が異なる。
京都の祇園祭は優雅で、博多の山笠とは雰囲気が異なる。

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櫛田神社に奉納されている飾り山笠
櫛田神社に奉納されている飾り山

 

 

博多 西鉄ライオンズ 神様仏様稲尾様

神様、仏様、稲尾様、西鉄ライオンズの黄金期に貢献

稲尾投手は、入団当初は注目された選手ではなく、バッティング投手として入団
打撃投手を務めており、 「手動式練習機」とも呼ばれていた・・・

東京の憎い巨人をやっつけてくれた。博多の英雄! 
ヒットは打たれるが、何故か2アウトからが多かったので点は取られなかった。
打者へは初めに「アウトコース低め」のスライダーで、
すぐに
「ストライクを二つ」取っていた。

博多の少年野球のピッチャーはあこがれの稲尾投手の
投球フォームを真似て投げていた。

1963年日本シリーズ「西鉄vs巨人」
https://www.youtube.com/watch?v=9cIfVJmqthY

背番号24 稲尾投手
背番号24
稲尾投手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博多 うどん 博多の伝統の味の危機  

 

うどんにはネギが欠かせない
うどんにはネギが欠かせない昔の博多っ子ではある私から見ると

博多のグルメは「博多ラーメン」「辛子明太子」が
有名だが、
私にはもうひとつである。
私には「丸天うどん+かしわ飯」が最高である。

「丸天うどん」は博多独特の具で、
庶民に幅広い人気がある。

魚の練り物を揚げた丸い形の天ぷらが入っている。
もう一つの代表は「ごぼう天うどん」である。

しかし、博多の丸天うどん 伝統の味の危機を感じる。
博多の味の東京・
大阪化である。

博多に行った際に、うどんの看板が目に入った。
博多のうどんを食べるのは久しぶりだった。博多のうどんは「だし」が勝負である。
ところが看板は「博多うどん」だったが

残念ながら

・だしは博多の味ではなく、「関西や東京」のだしの味だった。
看板に偽りあり・・これは「博多の丸天うどん」 ではない!

・「ねぎ」はテーブルの上に置いてなく、ほんの少しだけネギが入っていた

関西や東京からの店が増えているのか   
博多の伝統の味が失われてきている。
博多の味の文化が退化しているのでは?

博多のうどんの店
http://tabelog.com/udon/fukuoka/A4001/A400101/rank/

博多  「甦れ!俺の西鉄ライオンズ」

古き良きあの時代を博多で過ごした。今の時代にはなかった、
オーマンで、エネルギーと強烈な個性が同居していたチームだった。

私は幼稚園児だったが、平和台によく通っていた。
幼稚園までは入場料が只だったので、兄や知人に連れてきてもらった。
小学生になって入場料がいるようになると
だれも 私を連れて行ってくれなくなった。

豊田、中西、大下、特に稲尾・・みんな英雄だった。
そして巨人を倒して日本一になった。博多の街は興奮した!
平和台の外の木に登って応援した。

私を含め子供はみんな稲尾投手のピッチングフォームをマネしていた。
西鉄ライオンズは戻ってこない。

子供のころの私
子供のころの私

 甦れ!俺の西鉄ライオンズ

 (作詞・作曲:中山大三郎/編曲:京 建輔) (歌:黒田武士)

1.だれに怒っていいのか わからないが
おれの西鉄ライオンズ もうなくなった
高倉がいた 豊田がいた 大下がいた
中西がいた 関口がいた 和田がいた
太平洋 クラウンと 名前が変わる
その度に おれたちは とまどうばかり
 かえせ かえせ ライオンズをかえせ
 かえせ かえせ ライオンズをかえせ

2.どこのファンかときかれ 答える時は
今も 西鉄ライオンズ そう答えるさ
小淵がいた 仰木がいた 滝内がいた
河野がいた 玉造がいた 城戸がいた
生えぬきの 選手たち 悲しむだろう
あのころの 西鉄は あとかたもない

 かえせ かえせ ライオンズをかえせ
 かえせ かえせ ライオンズをかえせ

3.そしていつでも強かった 日本一だった
おれの西鉄ライオンズ 胸張ったものさ
稲尾がいた 河村がいた 島原がいた
西村がいた 若生がいた 畑がいた
なつかしい サムライの 姿がうかぶ
今もなお この胸の 血潮がさわぐ
西鉄ファンよ 今こそみんな 立ち上がろうよ
おれたちの手に ライオンズを とりもどそうよ
あたらしい名前は たとえば九州ライオンズ
心から 応援できるチームにしよう

 かえせ かえせ ライオンズをかえせ
 かえせ かえせ ライオンズをかえせ 

甦れ! 俺の西鉄ライオンズ youtube
https://www.youtube.com/watch?v=FoBjRP-Qmlw

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