博多 うどん 博多の伝統の味の危機  

 

うどんにはネギが欠かせない
うどんにはネギが欠かせない昔の博多っ子ではある私から見ると

博多のグルメは「博多ラーメン」「辛子明太子」が
有名だが、
私にはもうひとつである。
私には「丸天うどん+かしわ飯」が最高である。

「丸天うどん」は博多独特の具で、
庶民に幅広い人気がある。

魚の練り物を揚げた丸い形の天ぷらが入っている。
もう一つの代表は「ごぼう天うどん」である。

しかし、博多の丸天うどん 伝統の味の危機を感じる。
博多の味の東京・
大阪化である。

博多に行った際に、うどんの看板が目に入った。
博多のうどんを食べるのは久しぶりだった。博多のうどんは「だし」が勝負である。
ところが看板は「博多うどん」だったが

残念ながら

・だしは博多の味ではなく、「関西や東京」のだしの味だった。
看板に偽りあり・・これは「博多の丸天うどん」 ではない!

・「ねぎ」はテーブルの上に置いてなく、ほんの少しだけネギが入っていた

関西や東京からの店が増えているのか   
博多の伝統の味が失われてきている。
博多の味の文化が退化しているのでは?

博多のうどんの店
http://tabelog.com/udon/fukuoka/A4001/A400101/rank/

博多 丸天うどんが 一番うまかばい

丸天が一番おいしい
丸天が一番おいしい

 

かしわめし
かしわめし

 

 

 

 

このネギがないと美味しくない
このネギがないと美味しくない

 

 

博多のうどんは「丸天」が最高である。
ネギを山盛りに入れて食べる。
「ごぼう天うどん」も美味しい。
うどんと一緒に、「かしわめし」もうまかばい。

博多に帰ったら食べることにしている。
ラーメンも美味しいが、
やっぱり私はラーメンよりもうどんが好きだ。
出汁とネギのコンビネーションが独特で美味しい!
東京や大阪では食べられない。

博多 鶴の子 うどん 西鉄ライオンズ 

 

岩中祥史/著 「転勤したい街」全国第一位の都市──博多。独特の屋台文化、明太子だけではない美味しい郷土料理の数々、福岡ダイエーホークスにみる商売成功のツボ、祇園山笠に代表される色濃い街意識、
岩中祥史/著
「転勤したい街」全国第一位の都市──博多。独特の屋台文化、明太子だけではない美味しい郷土料理の数々、福岡ダイエーホークスにみる商売成功のツボ、祇園山笠に代表される色濃い街意識、

「博多学」(新潮文庫)は大変面白かった。

私は博多で育ちで、青春時代をここで過ごしたが、
いつの間にか東京や大阪での暮らしが長くなり、
博多の事に疎くなってきているが

この本は博多の住民の気質や文化を的確に見抜いてる。

博多人の性格はすぐに新しい事に興味を待つが、飽きるのも早い
東北人と反対の性格を持つ。

目立ちたがり屋の性格のためか福岡出身の芸能人が意外と多い。

時々冠婚葬祭で博多に帰ると、懐かしいものが残っている。
「あのくさ」、「しゃーしか」、「なんばしようと」・・独特な訛りの博多弁
「対小路」や「呉服町」の懐かしい昔からの地名、

ただし昔の地名がいつの間にか新しい地名に変わってきている。
特に昔は海に面した海岸線が今ではすっかり埋め立てられている。
昔の「ももちの海水浴場」は「シーサイドももち海浜公園」なのか?

さびしいのは・・・
老舗デパートである天神の岩田屋や中洲の玉屋はもはやない。
土居町の辺りの様子も見慣れた建物がいつの間にかなくなっている。
寿通りも川端通りも雰囲気がすっかり様子が変わっている。
http://www.asocie.jp/reizen/history/04.html

少し残念なのは・・・・人口が減少しているので仕方ないが!
私の母校の奈良屋小学校と博多第2中学校
子供の人口減で統合されて新しい学校名になっている。
http://www.hakata-pta.net/hakata/
http://www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/jhhakata/

今も元気なのは・・・
石村萬盛堂の「鶴乃子」、名物の独特の味の「丸天うどんとかしわめし」
「丸天うどんとかしわめし」は東京や大阪よりも何と言っても“だし”がうまい。

博多っ子純情で有名になった「ラーメン、辛しめんたい」・・

一番残念なのは・・・・
「西鉄ライオンズ」がなくなっている。
豊田、中西、大下・・・稲尾  最強の軍団だった。
それがいつの間にか 「ソフトバンク・ホークス」に!

①西鉄ライオンズの歌 
https://www.youtube.com/watch?v=9zk3ksRytBU
②西鉄ライオンズの画像
http://www.bing.com/videos/search?q=%E8%A5%BF%E9%89%84%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%80&qpvt=%E8%A5%BF%E9%89%84%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%80&FORM=VDRE 

歴史的には、博多は古くからの国際的な港町で国際都市である。
韓国の釜山はすぐそこの距離である。  

昔から博多には外からもたらされたエネルギーを吸い込みながら、
 発展してきた。

大宰府の外港であった博多津には筑紫館という
日本最古の外交施設が存在した。
遣唐使が経由地として訪れていた757年に櫛田神社が創建された。
806年には唐より帰朝した空海は博多に東長寺を建立している。
http://yokanavi.com/jp/theme/detail/203

昔の博多商人は東南アジアの拠点都市である
その立地を十二分に生かし、
近隣の海外へ進出し
したたかに生き抜いてきた。

秀吉の時代には多くの豪商が活躍していた。たとえば
嶋井宗室・神屋宗湛・大賀宗九は「博多の三傑」と呼ばれる。
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/84

しかし近年は地元の企業が衰退し、東京からの企業の進出が目立つ。
例えばデパートはほとんど東京からの進出である。
福岡も大阪も東京の街並みもどこも同じようで、区別がつかない。

町を歩いていて博多の町の本当に大事なもの(伝統の歴史・文化)
なくなってきているのが残念だ。

博多が東南アジアの拠点都市として
ますます「個性的」に 発展することを願う!

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