大阪より飛行機で、高知県へ
レンタカーを借りてドライブでお寺を回った。
泊まりは数日間ペットと泊まれる宿を予約した。

四国88か所遍路2 伊予(菩提の道場)






難解すぎてさっぱりよくわからない
「三教指帰」の序文の中で弘法大師は「ここに一人の僧あり、われに虚空蔵求聞持の法をしめす。その経に説かく、『もし人、法によってこの真言一百満遍を誦すれば、
すなわち一切の教法の文義を暗記することを得。』
http://1000ya.isis.ne.jp/0750.html
弘法大師空海は、その虚空の空間に入ると「五大に響きあり、十界に言語を具す
(物質と精神には 響きがあって、それぞれに言葉を用意している。声字実相義)」
古くから金毘羅さんの門前町として栄えてきた。
門前町の落ち着いた情緒がある。
江戸時代に金毘羅参りが盛んになり、
全国から金毘羅街道を通じて多くの参詣客が集まった。
江戸時代に、自分で行けない人は狗に代参してもらった。
「こんぴらふねふね……」の歌でおなじみ本宮は
琴平山の中腹にある。
そこまでの参道は石段。その数785段。
さらにその奥には奥社があり、合計1,368段の石段を上る。
境内の雰囲気が荘厳で、圧倒される
この独特な雰囲気は初めての経験である
西国33ヵ所のお寺の中で最も印象に残る寺である。
山上にあり、広いので、ロープウェイとバスを使った。
境内は大講堂、食堂(じきどう)、常行堂、奥之院など。
西国三十三所観音霊場の札所でもある摩尼殿が一山の中心となる堂であるが、大講堂や開山性空の像を祀る奥之院も、信仰上重要である。境内を見た時の印象が強烈!
境内は大講堂、食堂(じきどう)、常行堂、奥之院など。
西国三十三所観音霊場の札所。
歴史 966年、性空の創建。
性空は910年生まれで、性空は出家した時はすでに36歳、
それから約20年間、霧島山、脊振山など九州で修行を積んだ後、
霊地を求めて旅に出、
966年、57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まり
武蔵坊弁慶は一時期書写山で修行した、
弁慶が使用した机など、ゆかりの品も伝えられ公開されている。
長野県、その可憐さと規模の大きさは古くから、天下第一の桜と称されている。
遠方であるが、大阪から日帰りバスツアがあったので、参加してみた。
天下第一の桜なので大変人出が多い。
「桜の日本三大名所」「日本 さくら名所100選」・・・
と言われるだけあって見事な桜だった。
http://takato-inacity.jp/h26/
高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした堅城。
城主は武田氏一族。
1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(信玄五男)の時に落城。
この時籠城していた信玄の娘・松姫(盛信の妹)と、
攻城軍の総大将織田信忠(織田信長嫡男)は元婚約者同士であり、
落城にまつわる悲劇として知られている。