博多 甦れ 俺達の西鉄ライオンズ!

我が往年の西鉄ライオンズの英雄たち
我が往年の西鉄ライオンズの英雄たち

私の応援する球団は 巨人や阪神や
西武ライオンズやソフトバンクホークスではない。
それは平和台を本拠地にする
西鉄ライオンズである。
しかしその西鉄ライオンズは今はもうない。

私は子供のころ、黄金時代の 西鉄ライオンズの試合を見てきた。
豊田、中西、大下・・・稲尾・・・、大下選手は赤ら顔でカッコよかった。

幼稚園の時は毎日のように平和台まで大人に連れて行ってもらった。
(入場料が只だった)。小学生になると連れて行ってもらえなくなった。
当時は球場の周りの木に登ってみる人も多かった。

南海ホークスが強かった。
選手個人個人が野武士のような感じで生き生きしていた。
今の野球は管理野球である。管理野球は面白くない!
選手一人ひとりの個性が前に出てこない。

1978年シーズン終了後,クラウンがライオンズ球団を売却、
福岡から埼玉県所沢市への移転した。
そして、若い人は「西鉄ライオンズ」を知らない人が増えてきた。

甦れ! 俺の西鉄ライオンズ
https://www.youtube.com/watch?v=FoBjRP-Qmlw
西鉄ライオンズの歌
https://www.youtube.com/watch?v=9zk3ksRytBU

博多 西鉄ライオンズ 神様仏様稲尾様

神様、仏様、稲尾様、西鉄ライオンズの黄金期に貢献

稲尾投手は、入団当初は注目された選手ではなく、バッティング投手として入団
打撃投手を務めており、 「手動式練習機」とも呼ばれていた・・・

東京の憎い巨人をやっつけてくれた。博多の英雄! 
ヒットは打たれるが、何故か2アウトからが多かったので点は取られなかった。
打者へは初めに「アウトコース低め」のスライダーで、
すぐに
「ストライクを二つ」取っていた。

博多の少年野球のピッチャーはあこがれの稲尾投手の
投球フォームを真似て投げていた。

1963年日本シリーズ「西鉄vs巨人」
https://www.youtube.com/watch?v=9cIfVJmqthY

背番号24 稲尾投手
背番号24
稲尾投手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博多 鶴の子 うどん 西鉄ライオンズ 

 

岩中祥史/著 「転勤したい街」全国第一位の都市──博多。独特の屋台文化、明太子だけではない美味しい郷土料理の数々、福岡ダイエーホークスにみる商売成功のツボ、祇園山笠に代表される色濃い街意識、
岩中祥史/著
「転勤したい街」全国第一位の都市──博多。独特の屋台文化、明太子だけではない美味しい郷土料理の数々、福岡ダイエーホークスにみる商売成功のツボ、祇園山笠に代表される色濃い街意識、

「博多学」(新潮文庫)は大変面白かった。

私は博多で育ちで、青春時代をここで過ごしたが、
いつの間にか東京や大阪での暮らしが長くなり、
博多の事に疎くなってきているが

この本は博多の住民の気質や文化を的確に見抜いてる。

博多人の性格はすぐに新しい事に興味を待つが、飽きるのも早い
東北人と反対の性格を持つ。

目立ちたがり屋の性格のためか福岡出身の芸能人が意外と多い。

時々冠婚葬祭で博多に帰ると、懐かしいものが残っている。
「あのくさ」、「しゃーしか」、「なんばしようと」・・独特な訛りの博多弁
「対小路」や「呉服町」の懐かしい昔からの地名、

ただし昔の地名がいつの間にか新しい地名に変わってきている。
特に昔は海に面した海岸線が今ではすっかり埋め立てられている。
昔の「ももちの海水浴場」は「シーサイドももち海浜公園」なのか?

さびしいのは・・・
老舗デパートである天神の岩田屋や中洲の玉屋はもはやない。
土居町の辺りの様子も見慣れた建物がいつの間にかなくなっている。
寿通りも川端通りも雰囲気がすっかり様子が変わっている。
http://www.asocie.jp/reizen/history/04.html

少し残念なのは・・・・人口が減少しているので仕方ないが!
私の母校の奈良屋小学校と博多第2中学校
子供の人口減で統合されて新しい学校名になっている。
http://www.hakata-pta.net/hakata/
http://www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/jhhakata/

今も元気なのは・・・
石村萬盛堂の「鶴乃子」、名物の独特の味の「丸天うどんとかしわめし」
「丸天うどんとかしわめし」は東京や大阪よりも何と言っても“だし”がうまい。

博多っ子純情で有名になった「ラーメン、辛しめんたい」・・

一番残念なのは・・・・
「西鉄ライオンズ」がなくなっている。
豊田、中西、大下・・・稲尾  最強の軍団だった。
それがいつの間にか 「ソフトバンク・ホークス」に!

①西鉄ライオンズの歌 
https://www.youtube.com/watch?v=9zk3ksRytBU
②西鉄ライオンズの画像
http://www.bing.com/videos/search?q=%E8%A5%BF%E9%89%84%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%80&qpvt=%E8%A5%BF%E9%89%84%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%80%80&FORM=VDRE 

歴史的には、博多は古くからの国際的な港町で国際都市である。
韓国の釜山はすぐそこの距離である。  

昔から博多には外からもたらされたエネルギーを吸い込みながら、
 発展してきた。

大宰府の外港であった博多津には筑紫館という
日本最古の外交施設が存在した。
遣唐使が経由地として訪れていた757年に櫛田神社が創建された。
806年には唐より帰朝した空海は博多に東長寺を建立している。
http://yokanavi.com/jp/theme/detail/203

昔の博多商人は東南アジアの拠点都市である
その立地を十二分に生かし、
近隣の海外へ進出し
したたかに生き抜いてきた。

秀吉の時代には多くの豪商が活躍していた。たとえば
嶋井宗室・神屋宗湛・大賀宗九は「博多の三傑」と呼ばれる。
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/84

しかし近年は地元の企業が衰退し、東京からの企業の進出が目立つ。
例えばデパートはほとんど東京からの進出である。
福岡も大阪も東京の街並みもどこも同じようで、区別がつかない。

町を歩いていて博多の町の本当に大事なもの(伝統の歴史・文化)
なくなってきているのが残念だ。

博多が東南アジアの拠点都市として
ますます「個性的」に 発展することを願う!